
CBR250RR@104号 大破・・・(|||ノ`□´)ノオオオォォォー!!
2012.8.3
悲劇は突然、起こってしまうのである。
2012年 8月 3日 104氏は人生で【 3 回 目 】の相手が存在する事故を起こしたのである。
CBR250RR@104号は、今回も地味に壊れた。
そう、傍目には復活が容易であるように見えなくもない。
R1-Z@104号 大破事件の時もそうであった。
では、事故後のCBR250RR@104号の画像をご覧じていただこう。

ほら、綺麗である。
22年落ち&事故後産地直送マシン、事故の程度としてはライダーは緊急搬送され手術済み・・・・・そう見えるであろうか?
現実は残酷である。
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じっ、と汗を浮かばせながら1羽のペンギンが灼けたアスファルトを見つめているのである。
まんまるい黒眼がちな瞳から、このペンギンの感情らしきものは読み取れない。

小一時間ペンギンはアスファルトを見つめ続けた後、フイッ、と首(らしき部分)を動かし青空へ眼線を変えた。
それと同時にパタリ、とアスファルトに倒れ込んだ。

おそらく貧血でも起こしたのであろう。
倒れたペンギンは灼けたアスファルトの上で微動だにしない。
この状態が20分ほど観察された後、ペンギンはプルプルと細かく震え出した。

飛ぶためではなく、水中を自由に泳ぎ回るために平たく硬く進化した腕が不器用に宙を切る。

事故発生はいつも突然なのである。
旧国道22号線、愛知県稲沢市陸田高畑町付近を南下中の104氏とCBR250RR@104号はおよそ時速50キロで走行していたのである。
一旦停止義務のある西側の小径に、黒色の普通乗用車が動いているのは104氏にとって先刻御承知の事実であったという。
一旦停止義務放棄の可能性も勿論脳内考慮し、104氏は104号のお気に入りのブレーキシステムレバーに指を掛けていたのである。
しかし、ここで104氏を魔が襲うのである。
104号が認識されていないはずがない!という慢心が今回の悲劇のトリガーであったように思われるのである。
黒色の普通乗用車が一旦停止義務を放擲し、進んできたことにより、104氏と104号は行き場(生き場)を喪うことになるのである。
しかし、104氏が慢心せず、危機管理を徹底していれば、お気に入りのブレーキシステムレバーに掛けた指をもっと早い段階で引いたはずなのである。
過失割合が如何なものとなろうとも、魔に差されたのは104氏であることに変わりないのである。
灼熱のアスファルトに灼かれながら、自らの断罪に手をバタつかせる阿呆は成長のない未熟者である。
バイクを持てることが当たり前だと慢心していなかったか?
ライダーを乗せたバイクの実重量が200kg重もあることを忘れ、時速50キロという絶対値の捉え方に甘さがなかったか?
これらの答えに慢心があったし、甘さもあった、と104氏は項垂れるのである。
過剰に怖気づく必要など微塵もないと筆者は思う。
ただ、慢心がいけない。
またしても派手に転んだ104氏であるのだが、過ぎた時間は戻らないのである。
いかに、未熟で情けなくあったことを昇華させるか?
この点において、筆者は104氏と共に歩めればと思う次第である。
最後に、マシンを擬人化することに賛否両論おありかと思うのであるが・・・
筆者は間違いなく機械にもタマシイは宿ると考える次第である。
コツコツと細部に渡り手をいれてきたCBR250RR@104号だったからこそ、いまも104氏は生きているのである。
マシンのタマシイを認めることで、かけてきた手間や金はそれをくべた気持ちと共に穏やかに逝くことが出来るのである。
助手席の窓硝子を粉砕し、助手席に身を投げるカタチで104氏は一命をとりとめた。
勿論無意識に起きた事実に対する結果論である。
しかし、刹那の時の流れの中、その土壇場での救われ様とする104氏の無意識のマシン制御に、104号のタマシイが応えてくれたと思わずにはいられないのである。
阿呆でも死なれると夢見が悪い。
CBR250RR@104号に感謝を捧げ、そのタマシイが穏やかに逝くことを切に願うのである。
―――うむ、死後の世界など物理的に存在しないんよ!
ただ、逝ったもののタマシイは残された者の心の中で永遠に在り続けるんやわいね!
ありがちょ!!―――
